ウムの歴史-1
コラム - ウムの歴史-1
NCAP技術との出会いと「ウム」の開発
1980年代後半に、日本板硝子中央研究所(現:技術研究所)・研究開発部グループでは調光ガラスの開発を行っていました。
薄膜分野の責任者であった河原秀夫主席(以下:河原主席)(当時)は、ある専門誌でNCAP技術について知り、調光ガラスへの応用を確信しました。
この、Dr. Fergasonの発明した特許の専用実施権は、米国Raychem社が有していたため、河原主席はさっそく訪米し同社を訪問しました。
Raychem社を訪問してみると、同社の子会社のTaliq社ですでにNCAPフィルム(現:UMUフィルム)を開発・製造していることを知ったのです。
河原主席は、さっそくNCAPフィルムの販売権の取得交渉を開始し、1986年にRaychem社から日本及びアジアでの独占的製造・販売権を取得することに成功しました。
日本板硝子は、その後Taliq社の協力を得ながら、NCAPフィルムを2枚のガラスと中間膜で挟んだ合わせガラスとしての製品化に取り組んだのでした。