透きとおり、澄みきっているガラス。同じように見えても、その成分とつくりかたによって、全く違った製品になり、全く異なった使われ方をしています。たとえば、ガラスといえば、まっさきに窓ガラスや食器を思い浮かべますが、ガラスの用途はこれだけではありません。光学機器のレンズや理化学用のガラス器、さらには住宅の断熱材として使われるガラス繊維やエレクトロニクスの微細な部品にもガラスが使われ、意外にも私たちの身近な分野で役立っているのです(へ〜)。
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ガラスという名前の由来
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そもそもガラスという言葉は、オランダのGlasに由来するものです(やっぱり)。日本語にはガラスを意味する言葉がたくさんあり、古くは瑠璃(「るり」と発音します)とか玻璃(「はり」と発音します)とか呼ばれ、また、16世紀にはいってからはビードロやギヤマンなどとも呼ばれていました。瑠璃と玻璃は、インドから中国を経てきた言葉と言われ、ビードロはポルトガル語のVidro、また、ギヤマンはオランダ語のDiamantからきた言葉だと言われています。しかし、時代とともに、同じオランダ語からはいってきた「ガラス」が一般的に使われるようになり今日にいたっています。また、硝子と書いてガラスを意味したのは、原料に硝石を使うことから当てたもので、これをガラスと読ませたのは明治時代に官営の品川硝子製造所(なんだこりゃ)で使ったのが、初めてのことだといわれています。
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ガラスの歴史
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明治9年、政府は工部省の経営のもとに品川硝子製造所を設立し、ガラス器と板ガラスの製造を企画しましたが、手吹き円筒法による板ガラスの製造には技術の未熟さから失敗しています。明治22年の東海道線全通以来、産業の発達が促進され、ガラスの輸入も輸入金額上位を占めるようになりました。
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本格的に板ガラスが国産化に向かったのは、明治40年に岩崎俊弥の個人事業として旭ガラスが設立されてからのことです。その後、第一次世界大戦が勃発し、それまで日本のガラス窓の90%を供給してきたベルギーなどの輸入品がとだえたため、旭ガラスは創業以来数年にして国内需要はもとより、アジアを中心に輸出するまでになりました。
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その後大正7年杉田与三郎が、アメリカから特許権を取得して北九州市に日米板硝子(当社、日本板硝子の前身です)を設立し、板ガラスの連続的機械生産(コルバーン式といいます)を始めました。今から約80年前のことです。
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日本板硝子千葉工場
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